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土台の作り方

  • carolynaiko
  • 2021年9月28日
  • 読了時間: 2分

先日、仕事で初めて熊本に行きました。ホテルは熊本城に歩いて行ける距離だったので、

この機会を逃すまいと、東京に戻る前の朝、見学に行ってきました。

まだまだ地震の爪痕が残っているとは聞いていましたが、先ず目の前に現れた「馬具櫓」(ばぐやぐら)を見て思わず目頭が熱くなりました。白塗りの土壁にはヒビが入っていて、

その下の石垣は半分が崩れてしまっていました。私は思わず、「主よ、この国の姿です。多くが壊れて傷んでいます」と心の中で祈っていました。


中を進んでいくと広い城内は幾つもの壊れた石垣と、これから修復するためにとっておいてあるのか、瓦が丁寧に積んである場所などがありました。

膨大な時間と財と労力で建てられた城であったことは見てわかります。過去にも戦争や災害などで壊れましたが、今回もまた、2016年の地震で多くが崩れ、また修復を要すると思うと残念でなりません。



しかし、私は歩きながらふと、あることに気がつきました。それは城内に植わっている木々の見事なことです。それらは本当に美しく、たくましく、ある木はその太さから明らかに数百年の年月のものとわかります。私が見る限り、倒れた後に残った木株と思われるものはどこにもなく、地震の影響を受けなかったようでした。



人間が作るものの儚さと、根を深く張った木々の強さの違いをまざまざと見せつけられたような気がしました。もちろん木も腐ったり、病気になったり、災害や火事などで失われることはあります。自然のものも不滅ではありません。しかし木々は私たちに霊的に重要なメッセージをくれています。だから聖書には多くの木の例えがあるのでしょう。


それは根を深く張ることの大切さです。それには時間がかかりますが、必ず根は木を成長させ、強くし、暑い時も寒い時も、また嵐からも木を守ります。


今あなたは自分が未熟だと感じて落ち込むでしょうか?また、なかなか実がならないと焦るでしょうか?決して落ち込む必要はありません。焦ることもありません。

未熟さと不信仰は別です。あなたが根を深く張るような人生を歩みたいなら焦らず、神様があなたを成長させてくださるペースに身を委ねればいいのです。私たちは実ばかり気にしますが、気にすべきは実ではなく根です!実は時が来れば必ずなります。




主に信頼する者に祝福があるように。その人は主を頼みとする。その人は、水のほとりに植えられた木。流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、実を結ぶことをやめない。

                    エレミヤ17章7節8節(聖書 新改訳2017)









 
 
 

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