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むごい扱いをした家来のたとえ話

  • carolynaiko
  • 2023年7月26日
  • 読了時間: 2分

先日ある女性から彼女の伴侶についての相談を受けました。結論から言うとほぼ虐待(虐待を辞書で引くと「むごい扱いをすること」と載っていました)です。クリスチャン同士なのだけど彼はよく怒り、その怒りは頻繁に彼女に向けられるとのこと。話を聞いてできる限りのアドバイスをしました。会話の後、予想していたより深刻な状況をどう捉えたらいいのか祈りました。

次の日、起きた時にふとイエスのたとえ話を思い出しました。


ある国の王様が自分の家来たちとの清算をするため、みんなの負債を調べました。

すると1万タラント(およそ6兆円)の負債がある家来がいることがわかり、王様のところに連れて来られます。王様は彼に本人も含め家族全員、そして資産も全て売って返済に充てるよう命令します。家来はひれ伏して、「少し待って下さい、そうすれば全て返します!」と必死に懇願します。王様は彼のあまりにも哀れな姿を可哀想に思い、負債を免除してやります。ところがこの家来は帰り道、彼に100デナリ(およそ120万円)借りている仲間に遭遇。彼の首根っこを捕まえて「借金を返せ」と迫るのです。仲間が、「もう少し待ってくれ。そうすれば返すから」と頼むのですが、聞く耳を持たず、彼を牢に放り込むのです。当時、牢に入れる目的は負債を抱える本人や家族が返済のために売られたり、資産を売却させるためでした。(マタイ18章23-35節)

先ず、この話の中で興味深いのが途方もない額の借金を持っている家来のセリフです。「待ってくれたら、全て返します。」何をどうしたって返すのは不可能な額なのに返す、と言っています。信じにくい話ですが、彼はそもそも自分が借金をしていることの自覚がないのではないでしょうか?

だから「赦した」、と言われても赦されていることに気づいていないのです。

でも自分に借金している人のことは容赦しません。

人は自分が赦されている自覚がないと他者を赦せないのです。


私たちはどんなことをしても決して返すことのできない「負債」(罪)があります。

イエスはその事をこの例え話を通して教えようとされました。

同時に神は制限なく赦してくださる方であることも教えています。

私たちが赦されるためにイエスはその負債を肩代わりし、十字架にかかり、

その負債を全て帳消しにして下さいました。


「私たちは皆、羊のようにさまよい、

それぞれ自分勝手な道に向かって行った。

しかし、主は私たちすべての者の咎を彼に負わせた。」

イザヤ書53章6節





 
 
 

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